かつて大阪のテレビといえば彼無くしては語れないほどに活躍していた「ぜんじろう」を知っていますか?
大阪を飛び越え全国、そしてアメリカでも活躍しているほどの芸人だったのです。
最近はテレビでも見なくなってしまいましたが現在はどうなっているのか、気になるところを調査してみました。
ぜんじろう プロフィール
本名 金谷 善二郎(かなたに ぜんじろう)
生年月日 1968年1月30日
出身地 兵庫県姫路市
血液型 B型
身長 170cm
最終学歴 大阪芸術大学芸術学部デザイン学科中退
師匠 上岡龍太郎
出身 NSC5期生
コンビ名 月亭かなめ・ぜんじろう(1988年 – 1989年)
グループ名 しねしね団(後の吉本印天然素材)
事務所 吉本興業活動時期 1986年 –
同期 辻本茂雄、前田勝(ティーアップ)木村祐一、東野幸治
関西ローカルのテレビ番組によく出演していましたが、芸人としても1989年、芸人の登竜門である第10回ABCお笑いグランプリに出場し最優秀新人賞を受賞し、関西若手芸人のトップグループに位置していました。
1989年、第24回上方漫才大賞では新人奨励賞も受賞しています。
1992年関西ローカルのテレビ番組『テレビのツボ』の司会に抜擢。
吉本興業と毎日放送から「平成の明石家さんま」とも言われていて、最盛期にはレギュラー本数17本も抱えていたから驚きです。
その後『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ぜぜぜのぜんじろう』など全国ネットにも活動の場を増やします。
しかし東京の業界人が求めるものと、ぜんじろうの資質との間には元々大きなギャップがあったことから、東京で抱えた番組は全て降板、ナインティナイン・ロンドンブーツ1号2号など若手の露出が増えることによりぜんじろうはテレビから姿を消しました。
干された?
ぜんじろうさんがテレビから姿を消した理由としては何かの不祥事を起こしたわけでもなく、「力量が足りなかった」のではないでしょうか。
「平成の明石家さんま」という売り方をされたのも彼にはプレッシャーだったのではないかと思います。
見た目が似ていることもあってそう呼ばれていたのだとは思いますが
明石家さんまのように素人や共演者を生かせるわけでもなく、「司会はできても、自分自身が面白いというわけではない」、「業界人とうまく付き合えない」と悩んでいたようですね。
現在は?
ぜんじろうさん、現在も吉本興業に所属していてスタンダップコメディ(アメリカのナイトクラブ等で披露される大人向けのお笑い)の公演や、動画配信サイトで活動されているようです。
1998年から3年間、海外に拠点を移しニュージーランドやアメリカ、イギリスやスウェーデンのお笑い番組で、スタンダップコメディアンとして腕を磨いていたのですね。
もしかしたらまたテレビに戻ってくる日も来るかもしれませんね!
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